牧師
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牧師室より


信夫教会月報 信夫の光
2024 年 3 月 17 日発行(3 月・ 4 月合併号)の転載です

 

 前号はハイジについて書いたので、今月はロビンソン漂流記について書いてみます。
 私がロビンソン漂流記を読んだのは、おそらく小学生。もちろん子供向けの世界名作全集とかに入っていたものです。船が難破して無人島にたどり着き、さまざまな苦労をして、近くを通りかかった船に助けてもらって国に帰るというお話です。子供用の本でしたので、小学生でも 2 時間ほどで読めてしまうものでした。
 大人になって読んだのは、クリスチャンになるだいぶ前。確か岩波で出ていたものを読んだと思います。現在手元に残っていないので、確認はできないのですが。
 最初に驚いたのがその長さ。子供向けがそもそも短いというのはあるのですが、翻訳本の前半部分しか子供用の本にはありませんでした。
 後半を読み始めた私の頭に浮かんだのはとまどい。覚えている限りでは、後半はほとんど神さまへの懺悔でした。当時クリスチャンではなかった私は、なぜこんなに懺悔や後悔が続くのかわかりませんでした。
 本の最初には、自分の利益になることだけを考えて生活していたような記述があるのですが、無人島での生活しか頭に残っていなかったのと、キリスト教にふれていなかったため、最初に語られる生活が懺悔に結び付いてくることには気が付かなかったのです。
 本が手元にないので、ネットで検索しながらこれを書いているのですが、最初の出版が1719 年イギリスとのことなので、キリスト教が身近にあるところでの話というのがやはり受洗前では難しかったような気がします。
 日本だと、クリスマスですらキリスト教とは無関係に祝われていますので、背景にあるというのは気づきにくいのかもしれませんね。

 閑話休題
 地域における文化の違いというのはかなり大きいのかもしれません。キリスト教の礼拝もローマ帝国の国教になって以降でずいぶん変わっています。ラテン語聖書を用いるなどです。
 先日何かで読んだのですが、ローマ帝国の最初の首都は当たり前ですがローマにありました。その後東西ローマに分裂しますが、東ローマ帝国の首都のコンスタンティノポリス(現イスタンブール)は東西の交易が集まるところで、西ローマ帝国の首都はローマはあるもののほかの都市は植民都市だったりします。東の方が栄えていたために、キリスト教の主要な人たちもそちらに移動しただろうという説明でした。東ローマ帝国は栄えたものの、オスマン帝国によって滅ぼされます。その影響は西ローマ帝国の教会にも及んだのではないかという記事でした。実際はローマ帝国が東西に分かれる前から宗教的な立ち位置が違っていて、それぞれの立場で皇帝の後継者を後押ししたのが東西に分かれるきっかけになっています。
 影響はなかったとは言えませんが、検証は難しいでしょうね。文化というものは絶えず変化していくものですので。ローマ帝国以前の教会も近年になってようやく研究が進んでいます。
古代教会では、やはり礼拝の形なども現在とは違う形だったようです。

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